そう、それが言いたかった

2010年にpixivではじめての処女作、『who are the hero』を投稿する。who are the heroを完結後は小説家になろうに移動。現在、思春期の少年、少女がゾンビたちが蹂躙する日本で戦う『エデンプロジェクト』と、はてなブログでネット小説書籍化本の批評ブログ、『そう、それがいいたかった』を更新中。

『「家族」と「幸福」の戦後史』について

さて、今回ざっくり紹介する本はこちら、『「家族」と「幸福」の戦後史』です。

 目次

はじめに

この本は戦後の家族史を描いた作品です。

1970年以降に生まれた日本の核家族。彼らは田舎を離れて東京の中心から少し離れた団地に住んでいました。この家族の形は日本古来のものでなく、アメリカの影響で生まれた。アメリカでは、消費者をつくりたい企業と市民の居住区域を整理したい政府が郊外で家を建てて暮らすことが幸せであるというイメージをアメリカ人に植え付けました。子供たちは安全な郊外で勉強し、女性は専業主婦として家電でラクラクに家事をこなし余暇で好きなことをする。夫は郊外から仕事に向かいます。アメリカも日本も、当初はこれが幸せな家族だと考えていました。しかし、時が進むうちに子供たちは反抗し、主婦は名付けようのない不安に捕らわれ、夫も仕事漬けの日々になる。日本でも若者が犯罪を犯し、家族の絆が壊れつつあるのを感じていました。そう、郊外での暮らしは間違いだったのだ。んで、何が問題だったのかという検証と、今後起きうることを書いて本書は締められています。

 では、今から順にはなしていきましょう。

日本の核家族はアメリカによってつくられた

 1970年に消費社会の発展が始まりでした。生産力が上がったことで、人々は生活の中で個性や趣味を表現するための消費を増やすことができるようになったのです。
 この時、戦後の団塊世代はちょうど20代になり、就職、結婚、出産ブームが起き、彼らが新しい家族の暮らしを確立しました。当時は「ニューファミリー」と呼ばれていました。
 60年代までの家族の消費の対象は、洗濯機、冷蔵庫、掃除機といった家事を助けるための道具が主流でしたが、ニューファミリーは生活演出型、私生活享受型の消費に変わっていきました。
 この流れはじつはアメリカのホームドラマの影響でした。1950年代から、テレビ放送が始まるんですが、当時の日本では番組の制作能力がなく、アメリカのテレビ番組をそのまま報道することにしました。
 子供の頃に、アメリカのホームドラマを見ていた彼らは都会に憧れ、大人になると東京に出ます。
 1962年には国鉄と日本交通公社が協力して集団就職列車を走らせました。これで東京の人口はどんどん増えます。政府は若者が東京に来ると、彼らが結婚して子供を産んでさらに人口を増やすであろうことは予想してました。だから1963年に、「新住宅市街地開発法」が公布されます。これにより、多摩ニュータウンが生まれました。
 こうして生まれたニューファミリーは家を買い、車を買い、家電を買い、ファミリーレストランに行くことを幸せと考えました。
 しかし、それって消費をしなければ家族になれないってことじゃない? それってホントに幸せなんだろうか。
 そもそも、影響元のアメリカはなぜそんな家族像を生んだのだろうか。それにはこんなわけがあるんだよって感じで次の章に行くんですよ。

:**アメリカ人がなぜ郊外に住み始めたのか
時は遡ること1939年。第二次大戦後のアメリカではニューヨーク万博が開催されました。
この万博の全体的なテーマが「明日の世界の建設ー過去の経験を踏まえ、現在ある道具を使い、未来を約束する」。
1960年を念頭において、その段階で実現されるであろう社会を提示しようというものでした。
それまでの博覧会と違い、ニューヨーク万博では、科学、芸術、農業、製造業といったカテゴリーだけでなく、「平均的な人間が日常生活の中で接するモノたち」に対応したゾーンが作ることを大方針にしていました。
モノによって生活が革新され豊かになっていく「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」の思想が国民に提示されたのである。
そもそも、なぜこうしたテーマと方針に決まったかというと。万博の準備段階での知識人の集まりで、都市文明研究者のルイス・マンフォードが、過去の展覧会が技術の進歩に力を入れていることを批判し、それよりも、技術によって人間がどのように完全なものにできるかを問う「未来博」にすべきだと提案しました。
未来博準備委員会、書記長、マイケル・ハーンは、それまでの展覧会を「生産者の博覧会」と考え、それに対してニューヨーク万博は「消費者の博覧会」であるべきだと考えました。
他にも博覧会をこうしたいああしたいって意見があって。最終的に明日の世界の建設っていうテーマとしてまとまったのです。
 こうしたテーマのもとでつくられた博覧会には、都市の劣悪な環境で生きていたら本来の人間性を保てなくなりますので、その環境を良くしようという思想が醸し出されたようなものが多かった。その思想が働くためだけの都市、デモクラシティをつくり、周辺の田舎から車でそこに行くという郊外の暮らしに近いライフスタイルを人々に提示しました。
 さらに、博覧会では地域計画協会が制作した『都市』というドキュメンタリーフィルムも上映された。ナレーションを書いたのはルイス・マンフォード。この映画では工業都市の腐敗を批判し、都市の再生と田園の復権を求めたものであった。この映画は都市は騒音がひどく、酔っ払いも多いし、臭いもひどいし、そこで働いている工業労働者は不衛生だ。今こそ、田舎に帰って自然に囲まれた豊かな暮らしをしようじゃないかっといった映画なんですが。
 後日、とある雑誌が、博覧会で観た「都市」って映画は凄かったんだけど。実際の都市と比べると活気がないように書かれていた、と書かれたそうです。
 さらに、博覧会ではフューチャーラーマという出し物がありました。立体的なアメリカの地図をみせて、当時の道路不足なアメリカの現状を嘆き、しかし、ゼネラルモーターズの手にかかれば交通道路がどんどん増え、どこにでも車で簡単に行けるようになりますよってのを見せた出し物だったそうです。
 このように、博覧会によって消費者としての家族という概念がつくられ。消費をしていくことが幸せな暮らしであると考えるようになった。
 また、1930年は「平均」という言葉が生まれた時代だと、歴史家のサスマンは言っています。そのため、博覧会は平均的な「人々」のための博覧会であった。
 最後に、人々が郊外を目指した理由として電気の普及も忘れてはならない。これにより、大量の家電がアメリカで生まれた。人々は郊外から車で都市部まで働きに行き、そのお金で電化製品を買い集めた。

レヴィットタウンの誕生と周囲の反応

 こうした博覧会によって、郊外での生活というライフスタイルを普及させるためのイメージ戦略を国は普及させていきました。この戦略を国が問っているのには理由があったのです。それは戦後、日本からアメリカに帰ってきた兵士たちが家族をつくり、住んでいくための家が足りなかったからです。そのため、1949年に住宅法が定められました。また、1956年にインターステイト・ハイウエイ法が成立され、高速道路が整備された。
 この時に政府が推し進めた住宅サービスの郊外での住宅の大量生産であり、そのなかの代表的な住宅がレヴィットタウンでした。
 しかし、このレヴィットタウン、アメリカのインテリ層には不評でした。そのなかで有名なのが、なんと博覧会で「都市」の制作を担当したルイスマンフォードでした。彼は豊かな自然での生き生きとした暮らしを支える家。よく知らんけど、たぶん「となりのトトロ」に出てくるような家が理想だったんだろうけどさ。ふたを開けてみれば、都市から離れた荒れ地で同じような家が並んでてさ。中に入れば、同じような家電や家具があり、みんな同じような顔で暮らしている。こんなの工業製品と変わんねぇじゃないか、と言ったそうです。
 まるで「ウサギ小屋」だな、とも呼ばれていたそうです。
 それに対して、レヴィットは均質化された生活の何が悪い。我々の目的は1点物の高級品をつくることでなく、多くの人々に均質で安価なもの提供することだと言いました。
 しかし、1950年代の後半では、均質化された住宅にも次第に個性が求められるようになりまして、それを受けてレヴィットは、ケープゴート、ランチハウス、コロニアルの3種類の家をつくって、色も自由に選べるようにしました。
 ちなみに、レヴィットタウンの建設方法は日本の住宅に影響を与えました。代表的なものが東急多摩田園都市。1970年の不動産広告には「フィールドファクトリー・システム」という住宅建設方式が紹介されている。

消費者としての家族はこの時、はじまった

 こうした大量に住宅をつくって、だれもが家を持てるのを目指したのは社会的な政策としての側面だけでなく、政治的、イデオロギー的な側面もありました。それは共産主義者に対して、アメリカは優位性を示そうとした。
 それの代表的な例が、ニクソンとフルシチョフの台所戦争。
 博覧会の中で二人がやった、どっちの国の国民が豊かな暮らしをしているのかという論争で。二人の中での「豊かさ」には食い違いがありました。フルシチョフは20年くらいしか住めない家を建てていくニクソンの住宅政策を非難し、彼のつくる消費社会を浪費社会として非難した。一方、ニクソンは多様性、国民一人一人に選択の自由のある暮らしを豊かさだと考えた。
 それから20年後、冷戦時代に入ったアメリカはロシアからの核ミサイルにたいする脅威を減らすために郊外化を推し進めた。都市に住宅を密集させるよりも、郊外に住宅をばらけたほうが被害を少なくできると考えたからだ。
 そして、都市部に住む人々と郊外に住む人々の間で豊かさも変わっていき。当然、市場も郊外の家族をターゲットにしていった。そうなれば、テレビも郊外の住民をターゲットにしたホームドラマをつくり、郊外に対するあこがれはますます強くなる。
 郊外に住むアメリカ人は、もともとは実用性や禁欲を美徳としてきたが「家族のため」と銘売って打ち出されたプロモーションにより、消費を強くしていき。主婦のための市場はもちろん、子供を中心とした市場も広がっていた。
 郊外で暮らすアメリカの家族は豊かさにかこまれて幸せな暮らしを享受できるはずだったのだが。そうは問屋が卸さなかった。

しかし、その後、アメリカの郊外の家族は問題を抱え始める

 この一見幸せそうな郊外の暮らし。その裏には抑圧されていた問題が多数ありました。代表的なのは黒人差別。彼らだけはこの郊外の暮らしという豊かさを享受できなかった。また、環境問題や車の問題は黙認されていました。しかし、問題はそれだけではありません。郊外で豊かな暮らしをしていたはずの若者と主婦たちも抑圧された立場にありました。
 抑圧された女性たちの問題について、まず声を上げたのがフリーダン・ベティの著書「女らしさの神話」である。
 フリーダンは郊外に住む女性に名づけようのない問題が存在していることを指摘していました。
 元々、戦前は夫のいない間に働きに出ていた女性。あるいは大学まで行って結婚のために中退してしまったそこそこの知性のある女性が変わりばえのない平均的な主婦として退屈な生活を送ることが。彼女たちにとっては「これが私の人生なの?」と問いかけたくなるくらいの不安やストレスを生んだ。だから1950年ごろには鎮痛剤が増えたそうで。お酒を何杯か飲まないと家族との団らんに向かい合えないキッチンドランカーも増えました。
 そして、若者もまた画一的な若者像を押し付けられていることに対して抑圧されたいらだちを感じていた。これにより、ヒッピー文化が生まれ、エルビス・プレスビーが流行り、ロックとかも流行ったそうです。平均を押し付けられる社会に対する反抗が文化として現れたんですね。
 こうした問題が出始めたにも関わらず、アメリカの社会は消費者としての家族というのを推し進めたい。そのため、ホームドラマは幸せそうな郊外の家族を描くのではなく『奥様は魔女』という家族の一人を魔法使いにすることでリアルと空想の乖離を誤魔化しました。

一方、そのころ、日本もアメリカにあこがれて

 アメリカで徐々に郊外の暮らしに問題が出始めていたとは知らず。日本人はアメリカのホームドラマを見て育ったため。アメリカの生活に近づくことこそが「豊かさ」であると考えました。だからカラーテレビだって買うし、色のついたジュースも飲むようになる。地方から都市に移りすみ、郊外に暮らすようにもなる。
 最初は団地で暮らしていた彼らも結婚をすると、ローンを組んで持ち家を手に入れることを目標にして働くようになりましたね。
 「OL」っていう概念もこのころできたんだけどさ。あのOLはじつは男性社員のお嫁さん候補として雇われるようになったらしいね。
 そうしていくと、幸せになったかと言えば、アメリカと同じような問題を抱える。いろいろ数字使って話しているんですけどね。ザックリ言うと。
 地方から都市に集まってきた人々は、それぞれ共通の体験を持たないため、地域の共同性を育めない。他人同士が住んでいる環境のため、子供を叱る親以外の存在がいない。父親は郊外から職場に向かうため、子供はだれかが働く姿を見ることができない。こうした環境は「世間」というものが存在しない。子供は善悪の概念を郊外での暮らしで学ぶことができないのです。
 
 話変わるけど、何が正しいかを問う漫画やアニメだったり、ゲームキャラの行動が集団や組織、世界全体にどういった影響を与えるかを視覚的に見せるゲームが日本でなぜ発展していったかっていう理由はこの辺にあると思うよ。

 だからこそ、1990年代から少年犯罪が増えて、オウムというのが誕生して地下にサリンをまいていく結果になっていく。

おわりに

 後はもう、永山則夫だったり、酒木薔薇だったりの起こした事件の話だったりをしてさ。でも、この本が出た1999年の今は若者はフリマをやっているよね。これって彼らなりの自己表現だって話をしてさ。高円寺が人気らしいよって話をしてさ。若者はだんだんものを持つっていう考えから脱していっているんだってとこで終わるんですよ。

 ただ、この後、iphoneが出てさ。SNSが出てさ。人々はものに縛られなくはなったけど。今度は郊外によって失われたシェアできる体験にお金をかけるようになってさ。だからガチャの課金とか。リア充活動やインスタ映えが次の消費活動になっていくんだよね。

 俺たちのわたされたバトンってのがどんなもんなのかな~ってのがわかる本なんでよかったら読んでみてください。これ読む前に『この世界の片隅に』を観てさ。この本はこの後の話なんだよなって思って読んでもいいし。これ読んだ後で、山田玲司先生の『見下すことからはじめよう』を読むと暗い気分がいい感じにポジティブになってちょうどよくなりますよ。

「家族」と「幸福」の戦後史 (講談社現代新書)

「家族」と「幸福」の戦後史 (講談社現代新書)

この世界の片隅に

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見下すことからはじめよう

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